PoizonBerry’s blog

OLです。凝り性です。癒し系を目指しています♪

真の自由とは何?!ものみの塔!

※この記事はカルトとされる宗教を擁護するのではなく批判するのでもなく個人としての出会いに感謝して書きます。

 

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 ★★★真の自由とは★★★
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昔お世話になった宗教団体を“批判”している人々をネットで見かけて悲しくなった。
“批判”の動機は事故の治療の際、輸血を拒否したことにより信者の子どもが【亡くなった】事実だと思われる。命に関しては重い問題なので言及は避けるが、信仰心について【一個人】として述べたい。

 

ものみの塔と関わったキッカケ:
聖書を伝導しているという親子二人が家に来て楽園の絵を見せながらどの部分が好きですか?と聞いてきたこと。

 

●勧誘を受けた感想:
幼き年に、週に一回家に来て無料の冊子や本をくれて読み聞かせてくれるようになった。家に来た人は物腰が柔らかく丁寧だった。サバサバしている人が多く私の回りにいない上品な方々で癒された。

お話を聞き始めた当初は聖書の教えを信じて生活していたら、絵に描いたような楽園に連れていってくれるのだと思っていた。でも、教えの内容がだんだん難しくなってきたのと一般的なキリスト教より戒律が細かく厳しい気がしてやめた。正確にいうと洗礼を受けていなかったので信者になる前に家に来てくれるのを断った。断ったといってもハッキリ言ったわけではなく「しばらく休みます」と言っただけ。家に来てくれた人は察しが良い人だったので距離を置きたいと受け取ってくれたようだ。

 

単純にその宗教を信じてやっている人もいれば【メリット】があると思っているからやっている人もいる。
家に来てくれた親子のうち、親御さんはお母様が仏教だったと言っていた。お母様がご健在の頃は法事でお坊さんが家に来ていたらしい。でも、お母様が亡くなられたあと経済的に余裕がなくなってからはお布施が払えなくなってお坊さんが来なくなったという。金の切れ目が縁の切れ目のようで微妙な気持ちになったようだ。ものみの塔に入ってからは生活に必要なものを信者仲間が安く譲ってくれたりして助かったようである。
宗教心というより経済的な要因や人間関係が信仰を続けている理由かも知れない。

 

 事故で亡くなった子どもの両親がどんな考えで輸血拒否の決断を下したかはワカリカネル。

 

でも、世の中…少なくともこの国では自由は条件付きなのだろう。命という物理に関わることに限らない。精神の自由さえ様々な要因で阻害される可能性がある。
自分がいるコミュニティだけではなく、外部の人間にどう思われるかを無視して生きることができない。出る杭打たれる…。

そのコミュニティの強さも関係する。政治にも影響を与えうる宗教もあれば、あえて政治にも世俗にもできる限り関わらないように信仰を続けているコミュニティもある。

 

強い人は今までの人間関係も家族も仕事も住んでいる家も捨てて、一から人生を立て直せるかもしれない。でも、そうでない人たちもいる。一部の宗教によっては還俗したら住む場所さえも追われる場合もあると聞く。

 

もし、私が今後宗教を始めるとしたら…。
教祖や教義を単純に信じるというより明らかなメリットがある場合だと思う。メリットよりデメリットが上回ったらうまく立ち回って去るだろう。たぶん私みたいな人が大半じゃないかな。

 

批判に批判を返したり、感情を乱すのでもなく、「でもね、こんな良い部分もあるんだよ」と言ってあげられるようになりたい。